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比布町の突硝山に連なる岩盤が、石狩川を横切っていて、かつてそこにはピップ民話『屯田兵の恋=創作民話』の舞台になったという豪快なピリカの飛瀑(比布大滝)がかかっていた。その滝は10年以上前に崩壊してしまい、今は豪快な滝の面影が残る淵となって残っている。その比布大滝跡を仮称で『ピリカの淵』と呼ぶ(石狩川百景に指定されている)事にした。ここは昔も今も石狩川の名釣場には違いなく、年に数回は大物の噂(一人歩きするので信憑性は低い?)を耳にする。比布川と石狩川の合流部より200mほど上流にあり、自転車道路から河川敷を経て滝に行く道が通じていたが、今は釣り人専用の道になっているかもしれない。
ぴっぷ町と旭川の境界にある突哨山は別名を『緑の岬』とも呼ばれ、国内最大級のカタクリ群生地として知られ、一体は公園として整備され入口は旭川側となります。此処で突哨山の地質と伝承について簡単に紹介。突哨山にはライマンの発見によると云われる当麻鍾乳洞と同じ年代の石灰岩と白亜紀の地層が有り、石灰を採掘していた当時は小規模ながら鍾乳洞も有りましたが保存されずに全て壊されてしまいました。石灰岩からは放散虫の化石も見つかっており化石の出る可能性は残されている。突哨という地名はかつて存在した鍾乳洞に由来すると考えられ、アイヌ語の tusso は ahun-ru-par,-o と同じ意味で“入る道の口”つまり“あの世の入口”と言うこと。この穴を通った先にあるのは亡くなった人の魂が住む所で、例外は有るが善人の魂が安住している所で一般的にはカムイモシリとかカムイコタンと呼ばれるが、例外もあり穴の先は地獄と云う事もある訳だ。かつてチャシやチセもあったという突哨山から延びる岩脈が石狩川を横切っている所に幻となったピリカの滝があった。TBS系列の『まんが日本昔ばなし』であの世に行ってまた元の世界に戻ったというお話が放送された事がありました。
比布川は水門や段差のため本流からの魚類の遡上は殆ど望めず、釣り大会などで放流された残り組が釣りの対象となり釣り魚の絶対数は極めて少ない。毎年スキ-場前の水門付近でニジマスと山女が放流されているがスキー場より少し上流に砂防があり、それより奥には生息を確認していない。国道より下流の比布川は、河川整備が済んでから相当な期間を経ており、自然河川のような渓相をしているが自由に魚類が遡上出来ない川で運だけが頼りの釣場。ただ稀に放流の生き残りの大物が釣れたりすると言うので訪れる人はいるが、今迄つった姿を見たことは残念ながら一度もない。僕は1度だけ連れたことあるが、水田作業中は殆ど釣りにならない。
石狩川を挟んで対岸は当麻町となるので基本的には、当麻も比布でも同じ事になる。石狩川本流は本格的な融雪の進む前の3月末から4月初めまでが最初のシーズンで、5月と6月は融雪の影響で殆ど釣りにならない。融雪が終われば、その後は記録的な大雨でもない限り12月までは可能だったが、最近は暖冬のせいか周年川面があいている所も有り。大雨などがあると大雪ダムから濁水の放水が何ヶ月も続くことがあり、そんなときは本流の釣りは諦めるしかない。釣場は旭川市と愛別町の間を流れる石狩川本流。対象魚は雨鱒、ニジマスが主なものだが、イトウやブラウンが釣れたという話もある。イトウに関しては釣りの対象というよりは保護の対象でしょう。釣り方はルアーからフライ、餌釣りといろいろあるが、以外なのは投げ竿でサンマの切り身を餌にニジマスを狙っている方をみたが、それでも釣れるのだからニジマスは何でも釣れるのではないかと思ってしまう。餌の選択にシビアなニジマスがどうしてと驚いてしまいます。
石狩川沿いに、旭川市常磐公園から上川町層雲峡までを結ぶね全長68.2Kmのサイクリングコースが計画されているが完成しているのは常磐公園から中愛別の桜公園(隣接してパークゴルフ場あり)まで。旭川からの自転車道は石狩川の右岸(比布側)を通っており、突哨山付近の石狩川百景近くに休憩場がありピリカの淵(石狩川百景)に行くには都合がよい。更に進んだ麻布橋を渡って愛別の桜公園まで石狩川左岸を進む。上川や層雲峡方面は部分的に自転車道を利用出来るようだ。
ぴっぷスキー場の奥に広がる笹の平は、竹の子採りで地元では有名な所で、6月上旬頃から中旬にかけて毎年解禁される。比布スキー場の脇から林道を進むと入口につく。笹の平は区画化され笹が刈られているので迷ったりする心配が少ないのが特徴。朝日町からも入山するルートが有るが、街から近く多勢の人が訪れ、人気が有る山菜の採集地です。念のためヒグマの対策はして行きましょう。
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