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碑が最初に立てられたのは昭和33年、アイヌの古老から聞いて場所を特定したらしい。その後昭和46年、旭川開村80周年記念で石碑となったが、道路切り替えで移動している、従って北方約100mは違うかも知れない。碑文は痛んでいるが判読は可能で「幕末安政のころ石狩場所請負の村山伝兵衛がここから北方約100mの地に大番屋と板倉一棟ずつを立建てて番人を置き、アイヌとの交易に当たった。上川地方和人最初の建物で・・・・以下略」和人最初の建物で松田市太郎や松浦武四郎もこの大番屋を利用。◇旭川市忠和4条8丁目 道々沿い
近文山山頂に有る旭川最古の碑。明治18年、岩村利通が司法大輔の時、屯田兵本部長永山武四郎らをともなって上川行を試み、8月19日札幌発、8月27日に近文山に登って上川盆地を見渡す。後日、函館から「北京を上川におくの建議」を郵送した。翌年、初代北海道長庁官に任命された岩村利通が自ら碑文を草し「碑文は明治十八年八月、岩村利通・永山武四郎・長谷部辰連・佐藤秀顕等、おの々その官事を以てこの山に登る。・・・略」史員・白野夏雲に嘱し、近文山に運んで山頂に建立。素材は輝石安山岩、高さ1.4mの四角柱。
◇旭川市江丹別町嵐山公園・近文山
明治時代、一度は決定を見ながらも実現することなくついえてしまった上川離宮計画の予定地の跡。永山武四郎が時の内閣に送った離宮設定の議に対する、宣達文が刻された上川離宮宣達書碑も有る。碑は昭和52年に建立された。幻に終わった予定地の跡に標柱と旭川市史跡表示板がある。◆旭川市神楽岡公園と上川神社境内
明治19年に上川郡農作試験所事務所として建設され、明治20年に樺戸監獄署に移管された後、明治22年に貸し下げられ忠別太駅逓第一美英舎となる。鉄道の開通で明治36年の駅逓廃止迄、物資輸送と交通の要であった。上川地方に現存する最古の建物で、昭和62年解体調査。昭和63年現在地に復元展示される。また旭川地方気象台の前身で、明治21年開設の上川二等測候所でも有るが、明治23年に独立移転している。
◇旭川市神居1条1丁目 1-30
昭和46年、旭川開村八十周年記念として建立された碑。明治14年、月形町に設置された樺戸監獄の囚人達は明治19年に開かれた上川仮道路の工事、翌年の上川道路修築工事などに使役。この工事に関係して忠別太に樺戸監獄出張所がおかれた。道路の工事は空知監獄の有名な囚人道路と呼ばれる北見道路の突貫へと続いていく事になる。◇忠和3条7丁目
旭川開村九十周年を記念して建立された。碑文には「ここより200mの地(美瑛川の中州)に有ったと云われている。明治22年から24年にわたり忠別太から網走口に通ずる北見道路開設の工事が行われたが、この工事に空知監獄出張所の囚人が従事して文字どおりの苦役悪闘をしたと伝えられている。上川開拓の上で忘れる事が出来ない場所である。」と。実際に出張所があった場所はここから300m東の美瑛川の中州。◇神居2条6丁目 道々沿い
日本の都市公園100選にも選定された名公園でもある常磐公園入り口に立っている碑。この碑には公園完成後に師団通り(国道沿い)におかれていた。設置者は山崎政五郎、当時の師団長渡辺錠太郎の手により「常磐公園」の文字を書せられたが、本来は「常盤」とするところを「常磐」としたために、町名と公園名が異なってしまったという曰く付きの碑。今では「常磐公園」が通り名だが昔は「常盤公園」だった。
◇旭川市常盤公園
一瞬何の碑なのかと気になってしまう。碑文に『人類の生存と発展に貢献し、自らを捧げられた魚鳥類の霊に、深き感謝をこめて、永久に冥福を祈る』と有る。裏に旭川料理業組合等多数の団体の名が有る。他の生命から命の源を与えられていることを忘れがち。飽食、グルメと云われる現代、最も必要な碑の精神なのかも。
◇旭川市常盤公園
旭川市民文化会館前にある小さな碑で平成2年6月5日の「測量の日」を記念し、また旭川開村百年に協賛して測量設計業協会が寄贈した。方位版の中央標石の位置と高さは北緯43度46分9秒5327・統計142度22分7秒1957・標高112m1707と云うことになる。隣にも大きな碑が有る◇旭川市7条通り9丁目
北海道にスキーの技術を指導したオーストリア人レルヒ中佐と旭川の深いつながりを記した石碑。レルヒ中佐は明治45年、当時の第七師団でスキーを指南、スキーはスポーツではなく軍事目的に伝えられたのが始まりと軍都・旭川らしい。
◇旭川市春光台公園
表示板と沼の跡に碑(土管を立てた碑)が有る。神居古潭と上川地域にはアイヌの伝説が数多く残されているが底なし沼と立岩もコタンの妖刀と悲恋の舞台として登場する。沼は埋め立てられその姿は無いが立岩は現存。段丘の上にはチャシ跡が有る。ここには新四国88カ所も有る。
◇神居町忠和223-1 ◇水神龍王神社横
岩見沢から上忠別太間の仮道路が開れた時道路建設予定地に自生していた樹木のすべが伐採されたがキタコブシは奇跡的にも伐採を免れて、神居古潭つり橋へ入る道路の入り口近く、石狩川左岸にそびえ立ち神居古潭の変遷を見守り続けてきたが半分は枯れ痛みが進んでいる。◆和名 キタコブシ(モクレン科 )、所在地 旭川市神居町神居古潭、所有者 旭川市、幹周り290㎝、樹高19m、樹齢130年
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