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北海道の地名はその8割近くがアイヌ語に由来すると言うが、大都市ほどその割合が低くなるのは何処も同じ様です。ただ地名の由来となっている川名や山名は比較的そのまま残されています。ここではそんな旭川の地名を紹介しています。現存する地名は殆どが意訳されていますが、音訳(アイヌ語音に当て字)した地名もある。ここでは音訳した地名がメインです。カタカナを使用してアイヌ語の正確な発音表記はHTMLでは事実上殆ど不可能、ただそれらしくは装うことは可能と云う事で御了解を。ローマ字表記も示してありますが、同じ母音が連続する場合は先の母音を飛ばして発音、子音の場合も同様で地名に関してはこれで特に問題ないと思います。ハイフンは単語の区切りとして使用していますが、発音には無関係です。なお当サイトでは川の支流や川岸は管理人が元々は釣り人なので自分が混乱しないよう下流から上流に向かって右、左とした。
一般的に旭川と神居、神楽についてはアイヌ語起原と云う事で紹介されいますが、もう一つ裏がありそうです。過去の郷土史関連資料から、神居と神楽の神は紛れもなく天皇を意味し、離宮宮殿の置かれる予定地でもあった。永山は明治天皇、神居と旭川は永山武四郎による命名、神楽についても永山武四郎の詠んだ歌に由来する事はほぼ間違いのない事実。当時の特殊な状況で大日本帝国の兵団と離宮を置く地に「忠別」はあり得ない選択であり、旭川は国見山から見た風景からの連想であったに違いない。永山武四郎といえば当時の北海道では独裁者、別な表現をするなら北海道の暗黒史に君臨する立役者でもある。地名如きは彼の意向のままであったに違いない。神楽、神居はアイヌ語由来の地名と言う形で意図的に利用、旭川は旭日旗をイメージした永山武四郎の独断で、後の地名論争を隠れ蓑にしたという側面が見てとれるというのは言い過ぎか。地名解釈ではこの事も頭の片隅においてほしい。ただこの事とアイヌ語地名の解釈は又別次元の問題。
旭川と深川の境で神居古丹から芦別に抜ける道沿いを流れ、かつてイワナ釣りの穴場だったが今では見る影もない。永田地名解はナイ・タ・ユベ、川鮫としたが、知里博士はナイエタイペッ「nay-etaye-pet」沢の・頭がずっと奥に行っている・川、などの訛りかと書いた。松浦武四郎の戊午日誌には知里博士の説を裏付けるように「水源まで凡十七八里も有りて、ナイタベイトコ(内大部山)と申」記されているが謎は残る。確かに蝶鮫はいたが石狩川のことで説明にはならず。
旭川からは神居古丹の入り口という部分に位置する一帯の地名、川名は神居四線川と変わっている。アイヌ語名はアルシ・ナィ「har-us-nay」で食料・群生する・沢となる。普通ならハルシ・ナィだが上川アイヌは語頭の<h>は発声しないという。此川の水源にある山をハルシナイ・カムイ・シルと云ったと言うが、現在の神居山では無い様だ。
石狩川が神居古丹を越えて上川側に入りはじめで出会う大きな支流。その意味となるとはっきりしないが「荒井源次郎エカシによるとエトコ・タンネ・ベツでその先(水源が)長い川」との事なので、同じ様な意味でエタンベツを「e-tanne-pet」エ・タンネ・ペッ「頭(水源)・が長い・川」とするのが無理ない様に思う。ご存じ「江丹別蕎麦」で知られるが、酷寒の地としても有名らしい?
イヌン・ペッ「inun-pet」で、イヌンは猟の為仮小屋をたて野宿する事を云うらしい。魚取り「cepkoyki」というのをはばかる時の隠語らしいが、ここはサマイクルの残した猟小屋の伝説があるのでイミンなのかもしれない。戊午日誌イヌンベツ(右岸)、松浦山川図はエヌブト(左岸)と云う事で「漁・猟小屋がある・川」という事でよさそうですね。武四郎の記録によるとイノは略語と云うとあり、両側に同じ意味を持った川が有った事にななりそうだが、ここではありそうな事だ。
伝説の地で、上川アイヌの崇拝するチノミシリ付近で石狩川に注ぐ中支流。永田地名解で「女神玉門ヲ出シタル処」と不名誉な解を頂いたが、永田地名解の云うとおり葦はなさそうで「o-sara-pet」で「川尻・開けている・川」もありそう。知里博士はオサルペッ「o-sar-pet」「川尻・が葦原・の川」とした。どちらにもとれそう。
元々は辺別川の支流として扱われたようで、古くは合流した後に石狩川に注いでいた訳だが、今は忠別川に合流している。水源に硫黄山(十勝岳)があり「水濁って脂の様だ」と伝えられたとあるが、この説明では狭い範囲の地名と云う事になるが。濁ったではなく脂ぎったというのであれば青みがかった水色といえなくもない「piye-pet」ピイェ・ペッの「pet」(ペッ・川)が省略されて単に「piye」ピイェとだけ呼んでいたという。
美瑛川右支流名で地名でもある。ただ地名となるとその意味は殆ど謎、旭川市地名解では「ウプンupun は吹雪の事・中略・またこの沢は曇ると吹雪いたように奥が見えなくなるのでこう名づけたと説く人もいたという」ただ名詞一つが地名となるにはよほど強力なエピソードや伝説が無ければ無理だろう。謎は吹雪の奥に霞んでいる。
ペ・ペッ「pe-pet」で「川 水・川」と、一体何の事かと混乱するが、知里博士はは「pet-pet-i」小川がごちゃごちゃ集まっている所…と説明している。松浦武四郎はこの地形の状況を戊午日誌に「幾十条の枝川網の目の如し」と表現、これなら昔の川の形が手に取るように分かる。
石狩川の比較的大きな支流の一つで流域面積が広く河川氾濫を繰り返し現在は流路が変えられている。旭川史ではウシシペッで「鹿の蹄川」とした。「usis」「ushishi」は蹄とか爪という意味。それがなぜ鹿となるのか、多分北海道には元来狩猟の対象になる偶蹄目は、鹿しか生息しておらず蹄イコール鹿と言う発想なのであろう。
水源は東川町で田園地帯を流れ下り旭山動物園の前を通り牛朱別川に合流する川名で地名。知里博士は「ku-rarma-i」としたが、他に例がない様で手持ちの辞書でも見あたらず。本来はク・ラル・オマ・イ「ku-rar-oma-i」で「仕掛け弓・仕掛けてある・所」とも思われる。本来は川の名ではなく限られた特定の猟場を示す言葉です。仕掛け弓は実物を川村カネトアイヌ資料館で展示しています。
牛朱別川の支流の一つで水源を大雪山山麓に発して全流域が東旭川だけという川名で地名。永田地名解ではペパンで飲水とした。旭川史ではペーパン「pe-pan-pet」とし「水・甘い・川」としている。ただ辞書を見ると色や味が薄い、淡いなどであり飲み水としては良いかもしれないが甘いには疑問。最も東旭川は金気の水で有名だったから、水質の良い川につけられた名なのかもしれない。
旭川市と当麻町堺付近で石狩川沿いの地名。元々は川の名前であった。道内各地にある地名ですが「wen-pet」ウェン・ペッで「悪い・川」となるが、いずれもその理由がハッキリしていることは少ない。ただ此処では石狩川本流が網目の様になって流れており、通路としても漁場としても相当の区間が最悪の所となっている様な印象が強い。
水源を大雪山奥深くに発し東川町を縦貫し旭川市街で美瑛川と合流した後に石狩川に合流する。旭川の語源となった川として知られているがその件は松浦武四郎の記録に有る「チユクは汐早き川と云う事のよし也」の説明で十分でしょう。これをアイヌ語地名として正確に書くとチゥ・ペツ「ciw-pet」で有ろう。チュク・ペッで秋の川という説もあり得るが、チュプ・ペッ「日・川」となればよほどの伝承でも無い限り地名としては考えられないと思うが・・・敢えてそれを旭川村とした意図はなんであったのか気になるところだ。
石狩川と美瑛川が合流する付近からオサラッペ川が合流する付近までの石狩川左岸一帯の地名。チカプニちかぶみ cikap-un-i「鳥・いる・所」石狩右岸にの巨大な蛇紋帯に鹿さえも簡単につかんで飛ぶことができたという伝説の巨鳥が住んでいたという伝承が「近文」や「近文山」の起源という。もう一つの伝承では「cikap-un-ni」で、近文山付近の鳥が止まっていた木の事とも言われる。
チ・ノミ・シリ「chi-nomi-sir,i」「我ら・祭る・山」チノミシルは全道各地にあり、それぞれの土地の人が崇拝する山の事である。ここは近文コタンの人々が崇拝した山で、嵐山からチカプニにかけてのイシカリ川に面した地域をそう呼んでいる。知里真志保博士は「上川郡アイヌ語地名解」で「チノミシリ」は「近文山」と明記されている。
ぴっぷ町と旭川市の境界にある突哨山は、国内最大級のカタクリ群生地で、公園入口は旭川側となります。突哨山には中生代の石灰岩と白亜紀の地層が有り、古くは小規模な鍾乳洞が有ったと云うが石灰岩の採掘で保存されずに全て破壊された。突哨という地名はかつて存在した鍾乳洞に由来すると考えられ、アイヌ語の「tusso」は「ahun-ru-par,-o」と同じ意味で“入る道の口”つまり“あの世の入口”と言うこと。突哨山にはかつてチャシやチセもあった伝説に彩られた地。
牛朱別川沿いにある小山で麓は有名な「上野ガーデン」園内から遊歩道が延びており山頂まで行ける。高さの割には眺望が抜群。名前からして和名であるが気軽に行ける所なので紹介。アイヌ語名はキピル・ヌプリ「kipir-nupuri」で「前額・山」で額のように切り立っている山と言う。なるほど山の北側が切り立っている。ここは永山屯田の射撃訓練に使われたという。
米飯山と倉沼川の間、旭川市と東川町の間にある山で一角はスキー場やキャンプ場などがある公園になっている。「kito-us-nupur,i」キト・ウシ・ヌプルで「行者ニンニク・群生する・山」アイヌの人たちの重要な食料であった行者ニンニクが、沢山取れる山だった。
こちらは東鷹栖と和寒町の境界にある山名。アイヌ語としての意味は、上記の岐登牛山同じなので説明は省くが当て字が珍しいので載せてみた。実際に行者ニンニクがあるのかは不明だが、カタクリはやたらと多い地域ではある。
この山も鬼斗牛山と同じ東鷹栖と和寒町の境界にありオサラサッペ川と剣淵川の水源に聳える形になっている。地理的な条件は他のカムイヌプリなどと同じなので、昔からカムイシリなのかもしれないが、管理人にはそこまではわかりません。ただ此処では珍しい当て字なので載せています。「kamuy-nupuri」も「kamuy-sir,i」も同じく「神・山」で上川や名寄ではカムイシルと云われた。
原名のチカプニについては近文の所を参照してください。チカプの意味で上川アイヌは鷹の仲間も意味したというが、近文を意訳したと言う「鷹栖」には、富山県砺波郡鷹栖村から移民があったからとも言う裏話もあるので、鷹栖のアイヌ語起原説を素直には聞けない面もあります。
伝説のコーナーにある旭川神楽の地名由来に詳しく書いてあるのでここでは省略します。旭川の部分に記した事とあわせて見ると、単に伝承などから決められた単純な地名ではない印象が強い。
アイヌ語の発音を正確に仮名文字で表記する事は難しく「pet」の「t」は発音がtuに近く仮名文字には対応する文字が有りません。一応ここではッとしてあります。また子音で終わる単語の子音部分は小文字での表記となります。
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