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北海道の北に位置し最も人口の少ない音威子府。森林面積が80%以上を占めるが民有林は少ない。主な産業は酪農を主とする農業だが、1978年に彫刻家、砂澤ビッキ氏が筬島に移住しアトリエをかまえ、道内唯一の美術工芸科の開設もあり「森と匠の村」のイメージが定着、森林資源を生かした工芸にも力をいれている。音威子府は道内有数の深雪地でもありクロスカントリースキーが盛んな地域、また独特の黒い麺の音威子府ソバが有名でファンも多い。
国道275号と40号の分岐点にある道の駅「おといねっぷ」は、レストハウスが施設の中心です。アイヌ語でチニタ(夢)と名づけられたレストハウスでは北海道を代表する彫刻家、故砂澤ビッキ氏の作品と、名物音威子府そばが味わえる事。この二つだけでも立ち寄ってみる価値あり。なお収穫シーズン中には産地直売のコーナーもオープンしています。音威子府ソバ粉の販売もあり要チェック。道の駅前の案内板は別なアート作品になり展示されてます。
音威子府と縁の深い彫刻家高橋昭五郎氏の作品がまとまって展示されています。展示している作品は自由に触れてみることも出来ますが、組み合わせで外れる部分もあります。注意して見てください。写真撮影等は自由にできます。◇所在地 音威子府村字音威子府 旧青少年会館
開館期間 4月26日/10月31日(日)期間中無休
開館時間 9:00~17:00 入場料無料
一般の方を対象とした自由度の高い木工体験施設です。北海道産木材のみを使い建築された木の温もりを感じる館内には、セン・ナラ・シナ・カツラ・カバなどの加工用素材を揃えており、作るものにあわせて材料を選び、簡単な小物から凝った作品までを材料費のみで作る事ができます。制作に必要な道具類も揃っているので気軽にご創作体験が出来ます。木遊館で夢のある貴方だけの一品を作ってみてはどうですか。
北海道旭川市出身でアイヌ民族の現代彫刻家、砂澤ビッキ氏の作品。砂澤ビッキ氏は晩年に音威子府に移住、廃校になった筬島小学校にアトリエに亡くなるまで創作活動を続けた。大型の野外彫刻は筬島にアトリエを移してからのものが多いが、近年は崩壊などで見られる大型野外彫刻は殆ど無くなってしまった。その中で北大中川研究林庁舎前にある三本のトーテムポールが「思考の鳥」真ん中のトーテムポール「エゾシカ」は既に倒壊し「折れ残った」部分だけだが、トーテムポール「フクロウ」は顔の部分が一部欠けているも他は原型を保っている。ただ既に30年以上を経過しいつ倒壊するか分からない状況です。朽ちて落ちたくちばしはトーテムポールのそばの土の上に置かれていた。今のうちに今一度記憶に焼き付けておくのはどうでしょうか・・
外の皮も一緒に挽いて粉にしたという独特の黒い麺は初めての人には衝撃的かもしれない。管理人は子どもの頃から見慣れ、蕎麦は黒いと思っていたから、白い蕎麦を見た時は衝撃的だったことを思い出す。独特の風味と香りに強いコシが特徴で昔からファンが多い蕎麦です。
音威子府でソバというと一番有名なのは「日本一の駅そば」とも讃え称される音威子府駅の立ち食いソバ。宗谷本線とはいえ実際にはローカル線に近い駅なので混み合うことはあまりないが、営業時間が短いようなので、食べられるかどうかは運次第かも。音威子府駅には廃線となった天北線の資料館が併設されており、天北線沿線の懐かしの写真などや、廃線駅関連資料を展示しています。
最北の長大河川・天塩川に育まれたサケをイメージしたジャンボみそパン「サケの照やき」は一見するとサケを模ったビッグなコッペパン風なのだが以外と柔らかくて旨い。これを1回で完食するのはかなり難しそう。このジャンボみそパン「サケの照やき」は「音威子府そば」と並ぶ音威子府の名物と言うことです。写真はジャンボサイズだがミニサイズもあるらしい。貴方も挑戦して見ては。◇原菓子舗 音威子府村字音威子府368番地 TEL:01656-5-3034
音威子府名産のソバは黒いソバとして有名ですが、一路食堂のそばメニューは全て「音威子府そば」を使用、先々代より受け継がれた伝統の自家製粉技術とそば打ち80年の経験から来る風味豊かな「黒いそば」で、科学調味料は使用せず天然の素材のみ使用した本物のダシがソバの風味を引き立てている。ソバは道の駅や天塩川温泉にも有りますが「音威子府駅ソバ」と「一路食堂のソバ」が一押しですね。◇音威子府村492-2 TEL:01656-5-3880
天塩川は雄大な自然を残す日本で最北の長大河川。北見山地の天塩岳を源とし、数々の支流を合わせながら日本海に注ぎ込む、長さ256kmの一級河川。大きな瀬がないので初心者でも安心して下れる河川でロングツアー派のカヌーイストには人気の河です。下流域では上陸出来る所が少ないのが唯一の不安材料かもしれませんが自然は豊かです。キャンプ場利用の場合はリバーサイドキャンプ場に隣接するカヌーポートを利用するか中川町まで下ってキャンプと言うことに。
国道40号線の裏通りの目立たない所に音威子府発祥の地と書かれた史跡表示板がある。音威子府村の開基は咲来地区のようで常磐村だったが、中心街が後に交通や鉄道の要所となる現在地に移った。と言うことでここでは音威子府村「村名発祥の地」という事のようです。アイヌ語の「オ・トイネ・プ=川尻・泥んこである・もの」で音威子府川が天塩川へ流入する所がいつも泥で濁っていたものか、音訳して音威子府と命名される。かつてここが音威子府川の川尻だったようです。
咲来から音威子府に向かい町が見えてくると直ぐ左側にある。音威子府はクロスカントリーでその名を知っている方も多いと思うがここは普通のゲレンデです。すぐ傍が国道なのでアクセスには便利ですね。夏は音威子府の村花シバザクラの花で描かれた音威子府の文字が斜面に浮かぶ。かなり遠くからでも目立つが花を見に行くほど規模の大きさはない。通ったときに眺めて見るという程度・・夏は徒歩で登る事も。
鉄道開通前で当時の常磐村に明治37年に、現在の咲来地区に開設された。 音威子府村史によると駅逓取扱人の長村秀がこの地に移り住み、これが音威子府村の開基という。「北海道宿駅制の研究」で初代取扱人が塚田喜之治となっているが、駅逓の実質的経営は長村秀か・・音威子府の史跡は総てスチール製の看板で高さがあり目立つように配慮されている。「咲来駅逓所跡」の看板は咲来地区の南端、国道の咲来交差点の信号より踏切を超えた交差点の左側角地に。
◇設置:明治37年03月 廃止:明治13年06月
◇改称:明治38年02月 パンケサックルを改称 ◇初代取扱人:塚田喜之治
◇現住所:音威子府村咲来 ◇GPS:N44°41’21.7” E142°15’51.1”
発祥の地も色々とあるがこれはかなり珍しい記念碑。明治末期から天塩川流域各地に澱粉工場が乱立したというから、おそらくはその頃の発祥だと思われる。馬鈴薯澱粉の主産地は士別、美深だったようですが第一次世界大戦後に価格が暴落、その後は水田への転換が進み、かつてはどの町にも見られた澱粉工場も減少の一途をたどって現在では道内に17工場、道北では士別と剣淵の三工場のみという。碑は音威子府村住民保養センター・天塩川温泉の裏の道路わきに設置されている。
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