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上川郡美深町美深と雨竜郡幌加内町朱鞠内を結ぶ国道275号に有る美深峠の標高は443mで、峠としては高い方ではないが大地を深く刻んで流れる天塩川支流ウルベシ川源流に架かるウルベシ橋は、地上60mに架けられていて天塩山系の山並みを観ながら自然の雄大さを心ゆくまで楽しむ事ができます。ウルベシ橋駐車場と小公園が有り、案内看板にはフクロウが止まっているのが印象的だ。ここは秋、落葉松の紅葉のシーズンには全山が金色に染まる紅葉の名所でもある。峠越の国道はカーブは少ないが、勾配が緩い坂道が延々と続くので下りではスピードの出し過ぎに注意する事、交通量は少なく自分のペースで走ることが出来きる。美深峠の頂上には道路標識と駐車場があるが眺望はそれほど良くない。幌加内町朱鞠内向かって下ると原始樹海のうねる風景が見事だ。途中の展望台からは日本最大の人造湖、朱鞠内湖が見えるが幾つもの島と入り江が複雑に入り組んで重なり人造湖には見えない。
美深町より函岳の懐を貫き枝幸町に抜ける林道は更に風烈布林道を走りつなぐとオホーツクに達するスーパー林道だ。(現在一部通行規制あり)スーパー林道の美深町側は比較的整備も行き届いているが枝幸町側は道が荒れ気味で、快適なツーリングコースとは言い難い。林業関係の人や山菜取りの人以外でこの林道を利用しているのは、名流徳志川の上流に釣りに入る釣り人が圧倒的に多い。スーパー林道は加須美峠からこの辺で最も高い山、函岳に山頂に通じる道が尾根筋を通っている事もあって北見山系の展望を気軽に楽しむ事が出来る。林道は峠付近からは森林限界を超えるため一面熊笹や灌木に覆われやがて高原のパノラマが開ける。山頂には山小屋があり休憩も可能、一度は訪れてみてほしい所だ。行く前には車の点検整備と燃料の補給を忘れずに、林道は山菜取りの車が多いので、安全運転に心がてください。函岳に寄って走ると風烈布までは70kmを越えるまさに道北スーパー林道となります。
美深町仁宇布地区には羊乳製品を生産販売している農場が二件もある。元祖的な存在の(有)松山農場とそれに続くチーズ工房「羊飼い」があり(チーズ、アイスクリーム、ミルク、ヨーグルト等)を生産している。ストレスとは無縁の羊たち
美深町恩根内の市街地端、恩根内大橋寄りの手塩川堤防近く、民家前に美深町が設置した史跡標示板がある。恩根内唯一の商店で聞いた話では 民家は駅逓の建物というが、土台がコンクリートとなって改修の跡が明瞭。従って元々の駅逓舎ではないと思われ、表示板の通り駅逓跡で良さそうです。堤防に近い松の木が目印になります。
◇設置年:明治35年12月 廃止年:大正03年03月
◇改称年:明治38年02月 オンネナイを森内と改称
◇初代取扱人:板東髙三郎
◇現住所:美深町恩根内
◇N44°35’42.9” E142°18’09.5”
現役でアパートとして使用されている美深町に残された明治唯一の建築物らしい、その意味ではかなりインパクトはある。ただ駅逓舎としてみると外観は化粧トタンに覆われ、窓はアルミサッシに変わっているなど、かつての駅逓の面影は残しているも、その形状から駅逓を想像することは出来ない。国道沿いで美深町北四丁目の信号前の角地で、吉田鉄工場に隣接する。昔は駅逓の看板が有ったと云うが今は何もない。昔の話を聞きたければ宮岡食堂で聞かれるとよい。ここのラーメンはお勧めです。
◇設置:明治34年 ◇廃止:大正11年01月
◇改称:明治38年02月 ピウカを改称
◇N44°29’09.0” E142°20’40.7”
仁宇布には明治42年に数個が入植者がいるが、雄武町と美深町の中継地として明治45年に仁宇布駅逓所が開駅、昭和8年から蓮沼靖氏を取扱人として荷物などの運搬、宿泊所の役割を担った。駅逓は昭和18年に廃止、平成3年に美深町文化史跡に登録されていたが、建物の老朽化で維持が難しくなり解体された。駅逓の所有者だった蓮沼優裕さんは、駅逓跡に仁宇布駅逓所史跡のモニュメント建立し美深町に寄贈、モニュメントは高さ3.7m、幅4.1四m、奥行き1.4m、総工費は1244万円と駅逓の記念碑としては破格。
◇設置:明治45年01月 ◇廃駅:昭和18年08月
◇初代取扱人:矢敷和佐 ◇二代:蓮沼靖
◇美深町仁宇布 ◇美深町文化史跡
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