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湧別駅逓所は明治17年開設で初代の取扱人は和田麟吉氏。和田麟吉が湧別郵便局長就任後は、駅逓業務は佃田三作、渡部精司、鷲見与三吉、堀川泰宗と引き継がれ昭和4年廃駅となった。最後の駅逓取扱人、堀川泰宗は枝幸砂金開発の功労者で大東流門下の柔術家でも有る。碑は湧別市街地にある。
◇所在地:湧別市街地
大正8年に官設駅逓所として開駅、初代取扱人は加藤政千代氏、二代目は小山春吉氏となっている。開駅と同時に郵便仏取扱所の開設とある、上芭露はハッカの産地であり、人や物流が盛んだったと思われ駅逓が認可されたのでしょう。駅逓廃止は昭和16年。上芭露神社の上芭露開基100年碑の横に芭露駅逓所跡の碑があります。
御園山公園には島田琢郎の顕彰碑とこの碑の二基があります。碑文で気になったのは「鉄道は最後まで乗り、それから駅逓馬車を2日間のりついで着いた湧別村であった」という部分。戦後に芭露へ入植した時の事と思われますが、駅逓馬車は駅逓の客馬車かとも思ったが、殆どの駅逓は廃止となってるので馬車鉄道の事かも。当時は中湧別から芭露をつなぐ馬車鉄道(森林鉄道)があったようです。◇所在地:湧別町芭露 御園山公園
湧別町の芭露集落で国道からやや奥まった高齢者福祉施設の入り口横に芭露駅跡の碑がひっそりとあった。旧国鉄湧網線が廃線になった1987年に廃駅になっている。碑は湧別町開基100記念で建立されたもの。周辺を歩いてみたが駅跡などを示す遺構は観られなかった。◇所在地:撮影地:湧別町芭露
蝦夷哀話集にある湧別のコロポックルの伝説だが、伝承者は不明で創作、修飾が多い印象なので要旨のみ転載する。『湧別コタンにいつの頃からか不思議な女性が現れた。この女性は声は聞くことは出来るが姿を見ることは出来なかった。女性は漁の名手で夜に漁をした。女性のことをコタンではコロポクウンクルと呼んでいた。女性は夜になるのを待ってコタンの家の戸口の隙間からそれ(食べ物)をそっと差しだし「オアガリナサイ」と一言声を残して消えていった。ある時一人の男がその姿を見ようと、差し出した女性の腕を掴み屋内に引きずりこんだ。見れば全身が雪のような裸の女性で、その手から唇にかけて青い刺青があった。男は土下座して非礼を詫びたが、女性は一言も発せず、その後コタンに訪れることはなかった。その時より心を入れ替えた印として、アイヌ女性が刺青入コロポクウンクルと同じように刺青をするようになったという』※「蝦夷哀話集」は創作が多い作品、北見には「コロポックル伝説」は無いというのが定説との事で、伝説としての信憑性には疑問符付き。他地域には似たストリーの伝説が残されている。
この伝説は本来は上川の伝説とするべきかも知れない。『石狩川の河童は頭が禿げていて男も女もあり、男河童は人間の女に憑いたり、女河童は人間の男を籠絡させたり悪いことをするが、人間のために良いことをするのもいたという事だ。昔近文コタンの若者が祖父の言いつけで、北見湧別の人に貸した宝物を受け取りに出かけ、途中ひどく木の倒れたところがあったので、日も暮れたしそこへ泊まろうと用意をしていると河童が現れ目を怒らし「俺の宿を荒らすやつは誰だ」と飛びかかりそうな勢いなので、びっくりした若者は煙草を出して平謝りにあやまったところ、煙草を見た河童は急に目を和らげてニコニコして受け取り「俺は今北見から石狩の方に帰るのだが、お前がこれから行く湧別の男は心の良くない人間だから、宝物をお前に返すのを嫌って、きっとお前をだましてフリーカムイ(巨鳥)のところにやるに違いないから、これを持って行け」といって小さな袋をくれた。喜んだ若者は河童と別れて湧別に行ってみると、河童のいった通り「この山奥にとても綺麗な鳥がいるから、土産にその巣をとりに行ってはどうか」と巧みに誘いかけてきたので、若者は何も知らない顔をして山に入っていくと、エゾ松林の暗く茂っているところに人間の骨が木の枝に引っかかっているので、その木を登っていくとあたりが急に暗くなって、物凄いフリーが襲いかかってきた。然し河童のお守りを持っているの若者に近寄る事が出来ず、かえって次第に弱ってしまい、最後に美しい羽をおとして飛び去ってしまった。若者は木を下りてその羽を拾って帰ろうとすると、フリーはその若者に夢を見せて「これまで誰にも負けたことがないのに、お前にだけはどうしても勝てなかったので、俺の一番大事な宝物をやるのだ」と告げた。若者はそれを持って湧別に帰り、湧別の人の神窓から宝物を投げ込み「こんな立派な宝物を授けられたが、まだ沢山子鳥もいるから、お前達も行ってもらってきたらどうだ」と言ったので、欲張りの湧別の連中は喜んでフリーのいる山に行って皆フリーに喰い殺されてしまったが、近文の若者はその後河童のお守りのおかげで豊かになったという。山の中の木の倒れたところや蔓物のからまったところは、河童の泊まるところだからそんなところには泊まってはいけない。』近文・川村ムイサシマツフチ伝・更科源蔵編・アイヌ伝説集。
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