☆更新情報など☆
トップメニュー、レイアウトの一部変更。
地名解“大川”この辺では大きな川。知床で鮭鱒の自然産卵が見られる数少ない川です。河口はピンクサーモンの釣り場として知られる。鮭遡上の季節はヒグマの出没するので注意が必要、上流は滝が多いが大きな滝は少ない。
地名解“穴有る処”フイ・ウシの急言というが、松浦武四郎の記録には穴の記載はない。昔倉の様な木があったので名付けたと。永田方正氏が地名を調べた時には、穴は崩れてなかったと言う“puy”は穴のことで“un”は有る。夕日の名所。
“鳥が沢山いる所”と云う意味で、半島の入口に有ったオチカパケ川とは似た地名。知床日誌では大岩面の岩穴にに種々の水鳥が巣を作っていると。ここからプユニ迄の区間は海鵜とオオセグロカモメのコロニーがあり、その一部をフレペの展望台からも見る事が出来ます。
フレペはアイヌ語で“赤くあるもの”の意味でイチゴやコケモモの赤い果実を云う事が多いが湿原で赤い水を云う事も。道内にも同じ名前を持つ地名が何カ所か有ります。ただここは“赤い水”という事でしょう。見た目には綺麗な水です。
クンネポールと現在もそのまま呼ばれていいます。意味は“黒い(暗い)洞窟(穴)”という事だが確かに洞窟の中は暗く海上から見ると黒い洞窟そのものだ。観光船では最初の見所になるかも。知床日誌には洞窟の記載は有るが名前はなし。
意味は“大岩の岬“という事ですが、今は象の鼻と呼ばれ観光でははずせない名所になっている。傍によると寄るとその迫力に圧倒されてしまう、大岩の岬の名に相応しい景観です。此処にも大小の洞窟が並んで有ります。
地名解“硫黄川 白濁し水わずかに流る未だ温泉有るを見ずと云う”と書かれるが、その後上流に温泉が発見されて知床最奥の温泉ホテルが建っている。“iwaw”は硫黄の事。秋には河口に大挙して鮭が遡上する所でもある。
アイヌ語の地名にはそれに該当する名が見あたらないが、元々五湖という言葉は無いので当然かも。この辺の湾をトークシモィと云っていた様です。沼の向こうにある湾くらいの意味。断崖は地下水の浸出している所も有る。
“尖っている岬”の意味で確かに側面から見ると鋭く突き出ている岬です。知床日誌では“ウェイシレト⇔険しい岬”“ウェンシレト⇔難所の岬=悪い岬”とも云われたようです。潮の流れが速く越えるのが大変な岬の様です。
“海馬の沢山いるところ”山の上から大岩を転がり落として臥ている海馬を獲った所という猟場で川に名前が残った。イタシュベツ川はオキムシャンベ山の方から出て来る川といった様だ。ヒグマの出没が時々有るのでカメラの用意を。
“神(魔)の水”硫黄山の麓に大きな滝が有り、此の水は硫黄分を含んでいて飲む事は出来ない。ワッカは普通は飲み水の事を言うが、此処では警告の意味を込めてそう呼んだのでしょう。半島では最も豪快な印象の滝だ。カムィワッカ川源流部にはマニアの間では有名な湯の滝が有る。
意味は“いつもそこで獲物を狙い突きするところ”獲物は海豹だったのだろう。カムィワッカの滝とは対照的に優雅な印象の高くて細い滝が懸かる。沢筋の奥側に知床林道に架かる橋が見えるが、橋の上流側にも大きな滝がある。
クジラの背中に似ているのでフンベイソ(鯨岩)とも云ったらしい。赤い出岬が有る前方の海中に見える大きな岩で角が無く丸みを帯びている。“オンネ⇔老いた“の言葉通りのイメージで、現在の地図ではウーメン岩となっている。
本来は岬の名前で川はフプウシナイとなり現称とは異なる。ただどちらにもトドマツの群生しているという意味では同じ、川と岬の違いについて、理由は不明だが岬の名前が川の名前として入れ替わり地名に残ったという感じだ。
知床日誌にはない地名だがポンウプシノッツという地名が有りそれが由来かも。“pon-up-us-not-ka(ta)⇔子である・トドマツ群生している・岬・の上(の所)”という意味?。知床日誌には“シュプニウシ寄木が多い多いと云う意味”と書かれている。この辺には椴松が多い所だが、寄木は・・ヒグマも良く出没するのでカメラの用意を。
“小さい川”と言う事だが、ルシャ川に比較して小さいと言う事でしょう。ポンは小さい、子供と言う意味。この周辺で遺跡が確認されている。ポロは親である、大きいと云うほかに大事な、重要なと云う意味で、鮭が入る川や魚の多い川を言う事もあるとの事です。
昔は重要な交通路でコタンがあり、そのため一つの川であるにもかかわらず色々な名が付いていた。本来の意味は“ルエシャニ⇒浜に下りていく路”“サクルシャ⇒夏に通る道”“マタクシルシャ⇒冬に通る道” “ヤワンベ⇒陸の方に有る川”羅臼側にも同名の川があった。
斜里側から見て(ルシャの)向こう側に有ると言う意味の様です。ルシャとの間に小山を挟んでオホーツク海に注ぐ小さな川で、今はテッパンベツと呼ばれ人工物が一切なく、知床では一番ヒグマの濃い所でその姿を見る事も。野生のヒグマが自由に遡上する鮭を捕らえられる所はこの周辺だけとか。
滝の有る所はトシトルパウシ“綱を張り伸ばすところ”岸壁の地層が綱を張った様に見える。知床日誌には“昔義経が綱を張って干したところ”と云い、地元では綱岩と言う。此の岩に並んで小滝となって落ちている川が有る。
“水がジャージャー落ちるところ”と云う意味の様です、知床日誌では“意味不明としてある” が、当時は“子供が喧嘩をして泣いた所”だと記してあるが、生活の臭いが残る地名です。水の落ちる音をこれからは連想しづらい。
知床日誌には“大滝が一筋高い崖の上から落ちている“と有るが滝はよほど特徴が無い限りチャラセナイと呼ばれる事が多い。アイヌ語では大きい滝にはポロを付けて呼ぶ事が有る。標高60mの断崖上から落ちる大きな滝だが、知床ではただのチャラセナイだ。滝の下には滝の落下を利用した水力発電を備えた番屋がある。
滝の下番屋から岬側に進むと海中に着きでた大岩の出っ張りをポロエオルシ、続いて有る岬をポンエオルシ、二つの岬を合わせて“ウエンエオルシ”と云う。エオルシは山が海や川に落ち込んでいる所で、通行や航海の難所が多い。
伝承が元になっている地名で知床日誌では“昔竜神達がこの浜に鯨を追い寄せ来たり”と言う意味と。海岸の岩は長い間に風雨の浸食で地味だが独特の景観を持っている。伝承の地に相応しい威厳の有る風景だ。褒め過ぎかも・・
簡単に言うと“大岩”と言うことだが、今は鮹岩と呼ばれている。鮹には見えないけど、鮹岩という訳は頭の方が大きい岩と云う事から呼ばれた様だ。横に有る岬はポロスマエンルム“大岩の有る岬”と云うが奇岩が多く海鵜の高層アパートと云う様な景観を呈する。
トップメニュー、レイアウトの一部変更。