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北見市といえば菊まつりと云うほどに有名ですが更に平成18年に北見市、端野町、常呂町、留辺蘂町が合併し道内では一番広く全国でも4番目という新北見市となった。基幹産業も農業から水産業まで多様、観光面では「北見菊まつり」を除けば今までメジャーなスポットは無かったのが大雪山からオホーツク海まで100kmを越える距離がひとつの町となり観光面でもほぼ全てのジャンルをカバーする基礎は出来た。観光はエリアを分けて考えよう。
明治30年代から北見地方の主要作物の地位を占め、昭和9年のホクレン北見薄荷工場落成とともに、世界の70%をも生産しこの地方の経済と文化の発展に大きく貢献したのが北見ハッカです。旧ホクレン北見薄荷工場の事務所を改修したハッカ記念館。館内には北見ハッカの歴史を伝える様々な資料とハッカを使った品々などが展示されている。◆休館月曜日 ◆北見市南仲町1丁目7番28号 TEL:0157-23-6200
ハッカ全盛時の北見の秋は「ハッカ蒸し」の季節と呼ばれ、あちこちの釜からハッカの香りが漂ったと言われます。北見ハッカ記念館横のハッカ蒸溜館では懐かしいハッカの蒸溜実演を見ることができます。ハッカ油をたくさん取るために先人達が工夫を重ねた『薄荷蒸溜機』が同館体験学習室に展示されています。休館日 毎週月曜日 入館料 無料となっている。◆北見市南仲町1丁目7番28号 EL:0157-23-6200
はっか公園は名水公園と同じ敷地内にあり、北見ハッカ黄金時代のハッカ仲買人、五十嵐弥一氏の邸宅として昭和12年に建てられた『ハッカ御殿』を園内に移設修復。同時に当時の作業小屋2棟も復元し当時の農機具や生活用品と仁頃地区の農家で使用されていた釜「田中式蒸留機」を展示しています。公園に隣接するはっか農園てハッカも見られるかも。「ハッカ御殿」と資料館の閲覧は無料で解放。◆北見市仁頃町301番地 公園管理棟 TEL:0157-33-2646
開拓期からよどみなく清水を沸き出し続ける『仁頃名水』はまろやかでおいしい水として有名だつた。一時水質の悪化などにより休水されていたが、濾過装置を取り付けて復活し今は冬期間を除けばいつでも愛飲する事が出来る。湧水漁はそれほど多くはないので多量の水汲みなどは控えたい。昔の味とは少し変わったというが・・園内には、ハッカ御殿と資料館があり。◆北見市仁頃町301番地
日本で最初に認可された地ビールでレストランを併設。オホーツクピルスナーとオホーツクエールの2種類を製造、直売している。ビール党なら仲間と一度は訪れてみたいスポットですが、旅人は最終ゴールにと言うのがおすすめ。地ビールの老舗で自慢の一杯を心ゆくまで味わってく。詳しくはここから。
市街地から車で10程の静かな住宅街にあるボタン園。数種類のシャクナゲ・サクラなどに加えてジャーマンアイリス、バラ、シャクナゲが植えられている。メインとなるボタンの開花は6月で約1000本のボタンが咲き乱れるのは壮観。※現在入園料は無料ですがポランティアが園の維持管理を行っており寄付をお願いしいる。◆北見市花月町2丁目
バナナや椰子類などの亜熱帯の植物を中心に栽培している温室。緑の相談コーナーなど緑化普及、啓発、緑とのふれあいの場として平成5年に誕生。温室は温帯、亜熱帯植物を中心に6コーナー、野外には樹木見本園、洋風庭園、ストーンガーデン 、散策路などがある。緑に関する相談や園芸教室なども開催している。〈水、木曜休館〉入館料 無料◆北見市緑ヶ丘4丁目40-3 TEL:0157-26-3866
地域の公園に白ツツジ、エゾツツジなどが4,000本以上植栽されており、ツツジの咲く季節には市民だけでなく観光客も姿も多い。花の季節が終わるとミニパークゴルフ場で町内の交流の場となる。それにしても4.000本とは普通では地域公園というレベルをはるかに超えている。
◆北見市高栄東町4丁目
博物館、科学館、美術館、天体観、測視聴覚センターの機能を併せ持った複合施設で道東随一のプラネタリウムがあり大人も子供も一緒に楽しめる。北見開拓当時からの歴史を紹介する博物館や科学常設展示と美術展の開催など、新しい芸術と文化の創造拠点として期待されている。博物館は野付牛公園の一角に有り公園内への散策路が伸びている。
◆休館日 毎週月曜日。
◆北見市公園町1番地 TEL:0157-23-6700
キリスト教の伝道や学校教育に振興に尽力したピアソン夫妻が、活動の拠点として15年にわたり生活した洋館は柏の古木や楡の大木が聳え野付牛の街並みが一望できる高台ある。その洋館を1970年に修復しピアソン記念館として1971年に開館。1階展示室にはピアソン氏の編著書や夫妻の遺品、2階展示室にはピアソン氏の生まれ故郷でもあるエリザベス市の資料が展示され、入館料は無料となっています。◆北見市幸町7丁目4番28号 TEL:0157-23-2546
オホーツク圏の森林、木材に関する産業の振興を図り、木製品の技術開発や販売促進などを目的とした施設です。設展示室には木製品によるモデルルーム、ログハウス、クラフト、木製品遊具など家具からおもちゃまでさまざまな木製品が展示され『木』の素材が持つ優しさと美しさを感じさせます。展示室のほかに情報コーナーなどもある。◆休館日 毎週月曜日 ◆北見市泉町1丁目3-18 TEL:0157-25-1331
北見市の旧名がそのまま公園の名前となっている。北見市街のほぼ真ん中にある市街地最大の都市公園で河跡湖が残り貸しボート(有料)が有ります。公園の北側には、人口10万人達成を記念した「イチイの森」があります。池の周りには自生する樹林に囲まれ、住み着いている水鳥も多い。公園の一角に北網圏北見文化センターがある。◆北見市公園町36
案内板によると幕府により東蝦夷地(東北海道)の調査を命じられ、最後の蝦夷地踏査に出発したのは安政5年1月で3~4月には 帯広・釧路・阿寒・津別・美幌と経由し、斜里廻りで太平洋岸の厚岸に行き、再度知床半島を舟で周廻して、斜里から陸路網走に入り1858(安政5)年5月13日トコロコタン(常呂市街)に到着。北見への行程は翌日の5月14日常呂川を舟で遡りクトイチャンナイ泊、5月15日に野付牛村(端野)に達し、更に5月16日には同中の島・北光附近を経て訓子府町日の出附近に達している。常呂川は流木による塞がりが所々にあり 途中から陸路での踏査で有った様だ。5月18日には常呂に戻っている。※詳しい内容は戊午東西蝦夷山川取調日誌と西蝦夷日誌に書かれている。◇北見市光葉町・中ノ島公園
江戸時代の探検家松浦武四郎がロシアの南下に備える蝦夷地調査の為、川舟で常呂川を遡り北見盆地に到ったのは1858(安政5)年5月13日で今から150年前である。また当地のアイヌが置かれている惨状を克明に記録に残している。常呂内陸部が文献の中に出てくるのは、武四郎の登古呂誌が最初であり、北海道の名付け親でもある松浦武四郎がオホーツク沿岸八郡の広域区画名として提案した「北見国」元となって市政施行時に野付牛村から北見市に変更している。そういう意味では武四郎は北見市の名付け親ともいえる。◇北見市小町泉通(顕彰碑)
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