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中流域は函の中を通っていて、この辺では超大型虹鱒の狙い場として全道に知られた川。ここに流れ込む支流が滝になって落ちている所が有ると言う。一度釣りをしながら確かめて見ようと思っていたが、未だ果たせずにいる。西蝦夷日誌によると武四郎が訪れた当時はパンケオロピリカナイ付近(上幌内)まで丸木船で行く事が出来たと云う。その途中でヲシヨシナイ、ヘンケヲシヨシナイ(現滝ノ沢)に大滝ありと、本流との合流部が滝となっていたようだ。その滝は釣り師がみたという滝と思われる。ヲシヨシはアイヌ語で「川尻の滝」という意味です。
道道下川雄武線の幌内越峠に林道入り口があり、車で約20分雄武市街から車で90分の奥深いピアシリ山中に神門と昇龍の滝があります。神門の滝は約30mの高さから落下する滝は繊細さと豪快さと併せ持つ。ピアシリ深山の渓流の見事さが濃縮されている。これで魚が釣れれば言うことがないのだが、釣りのほうは期待できない様だ。秋は紅葉に彩られた山々の景色に滝の水しぶきが何とも言えない風情。滝までの道は比較的いいが、滝より奥は痛んでいる所もあり、出来れば複数台で行く方がよい。
所在地雄武町上幌内 幌内川上流支流
駐車場林道際に有りそこから徒歩5分
神門の滝から遡行して5分、距離にして50m程の処にある滝で本流が2段の滝になって豪快に落ちている。水量の多いときは滝のしぶきと轟音で迫力は満点であるが川通しに遡行になるため危険です、減水期であれば濡れるのをいとわなければ割と簡単にいける。上流にもう一つ第二昇龍の滝があるが昇龍の滝越えが装備なしでは難しい。どちらの滝も国有林内、入林届けは必要です。
所在地雄武町上幌内 幌内川上流本流
備 考神門の滝の上流50m程の位置に有る
イナシベツの滝は、雄武川支流イナシベツ沢上流に位置する滝で、高さは10mほど、水量があり豪快で迫力に満ちています。国道238号線から道道美深雄武線を美深方面に約10km程進むとフクロウの形をした看板がありそこが入口。イナシベツ林道を1.2kmほど進むと林道の分岐点でゲ-ト。300mほど林道を進むと滝の看板があり、そこから遊歩道を70mほど下るとイナシベツの滝。雄武川支流イソサム川にも滝が有るが高さはそれほどない。林道はやや荒れ気味だが・・
所在地雄武町上雄武 雄武川支流イナシベツ沢
『雄武と元稲府の中間の稲荷さんの下の岬の名で、カムイ・シャマ・オマ・イとは、神の石のあるところという意味である。カムイとは神といってもありがたい神ではなく、むしろ魔神でこの岬を通るときに、この神石に祈願しないで通ると罰が当たるという、恐ろしいところであったとされる。現在は道路工事のために壊されて、神様らしい姿は見られないが、壊された後がはっきりしている。』更科源蔵・アイヌ語地名解 ※「罰が当たる」というよりは何か災いがあるという解釈の方がより解りやすい。
『島より爰え弓射たる故事有。』松浦武四郎・蝦夷地紀行(西蝦夷日誌)『永田方正の地名解には「神ガ弓ヲ引キタル岬、紋別アルトルコタンアイヌ、アクロート云フ。トンナイハ弓ヲヒクノ意」などとある。これはこの岬をクサンサイウシとも言ったらしいので、アクロー老人は弓を出すなどと訳し、弓を引いたなどと言ったかと思う』更科源蔵・枝幸町地名解 ※アイヌ民族はゴメシマを神聖視していた事と近年遺跡が発見された事をあわせて考慮し、古い松浦武四郎の「ゴメ島から爰に弓を射った」という記録を重ねると、ゴメシマに何か失われた伝説があったと考えた方が良さそうである。
基本的には元あった物語や地名を素材に創作されたり、他地域の伝説を移入したと思われる伝説です。月見草咲く沼は創作要素の比重が強い代表的な例。要約して記しておきます。『オプコタンに残る伝説である。月見草がぽっかりと咲くと、月は白銀のような光を投げた。草には宝石のような露がキラめいた。若者と娘はいつものように沼のほとりに来た。彼らは幾度、この沼の水に光る月光を見ながら甘いうれしい逢い引きを重ねた事であろう<-中間省略->次の夜月見草がふるへ咲く頃、恋に死んだ男女の屍体が沼のほとりに浮き上がっていた。白銀の月の光にそそがれながら・・・』青木純一・アイヌの伝説 ※ストリー自体を日本人好みに脚色したか創作のどちらかという事は感じ取れるが、致命的なのは「月見草」。明治以降に日本に入ってきた外来植物で、同科の自生種はその頃の日本にはありません。創作にしても余りにもお粗末という事で。
『枝幸町の隣、雄武町の幌内川の川口附近は現在でも湿原であって、その湿原の中にオタヌプリと呼んでいる小さな砂の丘がある。そこは砦跡であって、ここを攻められたとき斜面に鮭の生皮を敷いてあったので、攻撃軍は滑って登れなかったともいわれている。このオタヌプリが隣町の歌登町の語源である。』更科源蔵・北海道の伝説 ※伝説は枝幸町のオタヌプリの伝説に酷似、川名もナイとベツの違いで作者が取り違えた可能性も。
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