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常呂川流域にある町で下流側は訓子府で上流側が置戸湖町となります。訓子府町は農業が基幹産業で森林は人工林も含め総面積の5割以下、林業の比重は置戸や津別町程ではないが盛ん、観光産業にはそれ程力を入れてはいないようです。置戸町はオホーツク振興局エリアの南西端にあり、南と西は十勝支庁との境界、大雪山の東端に接する。昼夜の寒暖の差が大きく、積雪降雨が少ない大陸性の気候で、森林の面積が町の総面積の8割以上を占め常呂川の最上流域に位置する。基幹産業は酪農、畑作などの農業とオケトクラフト等で知られる木工・林産業の町。
旧訓子府駅は廃線となった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の旧駅、明治44年に開業、平成元年に北海道ちほく高原鉄道に移譲され、平成12年に駅舎を改築し農業交流センターくる・ネップが併設されている。平成18年のふるさと銀河線廃線で駅機能は廃止、くる・ネップは引き継がれバスターミナルとなっている。駅のプラットホームと看板の一部は残されているが、線路のレールは撤去されている。旧駅舎内に「駅茶屋」という喫茶店が有りましたが訪問時は休み。
◇訓子府町大町170
野球場やスキー場、バーベキューハウス、ちびっこ広場などを備えた総合公園。展望台からは町内が一望でき、その斜面には春になると66万株のシバザクラが花を咲かせる。エゾヤマザクラも多く穴場的な花の名所です。訓子府駅から徒歩では40分の距離なので車で。
◇訓子府町字協成
明治39年開設、取扱人は北光社農場支配人の前田駒次で、実質経営者は岩渕周之助氏という。明治42年焼失するも翌年に再建。明治44年に鉄道が開通し、市街地に旅館が開業するようになり、大正9年12月に廃止。旧訓子府駅から徒歩5分、詳しくは「駅逓を巡る旅」に書いてあります。
◇現住所:訓子府町市街
オケトクラフトセンタ-『森林工芸館』は昭和63年に開設された木の町置戸の象徴的な施設。館内には地域ブランドであるオケクラフトをはじめ、草木染め製品等の特産品を展示即売するエリアがあります。ショップ内には手づくりされた製品が置戸町内に点在する工房ごとにあり質量ともに圧巻。◇置戸町字置戸439番地の4 TEL:0157-52-3170
市街地にある旧置戸駅舎を使った「置戸ぽっぽ絵画館」がオープンしています。若手から中堅画家の作品が全国から寄せられているという。観光案内所も併設されています。駅跡という事でプラットホーム等はそのまま残されているが、レールもわずかに残され、かつて駅で有ったことがわかります。置戸駅開設記念碑と金色夜叉の記念碑は健在。置戸駅周辺を鉄道公園として整備する構想があるようですが具体的な内容は?◇置戸町字置戸456-1
置戸町市街と鹿の子ダムの間に常呂川の清流に接して勝山温泉があります。温泉の効能には筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、疲労回復など色々な効果があるそうですから鹿の子沢のハイキングや常呂川の釣りで疲れた体をリフレッシュするには丁度いいかも。近くには人気の高いパ-クゴルフ場があります。春先は常呂川に架かる橋の下を覗いてみてみてね、たいていの橋の下にはツバメの巣がありますよ。秘湯としてその名を知られていた鹿の子温泉は廃業。
常呂川上流の原生林の中に鹿ノ子ダムの建設で一大景勝地が産声を上げたのは昭和58年。周辺は良く整備されているが、施設は老巧化で日帰り入浴も可能だった「メモリーハウスおけと」は休止中、鹿ノ子キャンプ場は廃止、唯一残っているのは森林体験交流センターだけ。置戸の自然体験などに関しては殆どの情報が得られると思います。◇置戸町字常元525-2 TEL:0157-54-2211)
置戸町市街から13km鹿の子ダムまでの途中常元にある鹿の子沢には原始林そのままの自然があり約2kmのハイキングコースがあります。コース内には虹の滝、悲竜滝、雲突岩、こうもり岩、屏風岩、忍び岩、不動岩など、大きな岩が沢山あってアウトドアマンには知られたところです。なかでも三本桂と虹の滝がみものです。
健全な形で森林を保護してゆくことを目的に『巨樹・巨木・国民の森林』を全国から100カ所を選定、その中のひとつに置戸町鹿の子沢にある通称三本桂があります。この桂は根元から3本に分かれて立ち、幹回り3m樹高28m樹齢推定約300年でどっかりと大地に根をはり鹿の子沢の名所としてだけでなく木工クラフトの町置戸町のシンボルですこの付近には冬の低温で(-30度以下)木の幹が凍り裂ける現象(凍裂)が見られます。この時の音は森全体に響くというが。
市街地から約15km離れた道有林の南斜面にある。針葉樹が多い原生林の中に長さ約80m幅50m程のガレ場があり、大小の安山岩の間から吹き上げる風は年中摂氏5度と一定。この岩礫帯は氷河期からの生きた化石というナキウサギが日本最初に確認された。地形図とコンパス必携ので、ガイドができる人と一緒に行かれる方が良い。単独での入山はお勧めできません。
太平洋戦争の末期、野村鉱業置戸鉱山に約1300人の中国人・韓国人を強制連行、魚雷の起爆装置などに使われる水銀採鉱に必要なダム建設等に酷使。再び祖国の土を踏む事なく45人の中国人がこの地で犠牲になったが、韓国人の犠牲者数はいまだに分っていない。碑は昭和51年、置戸鉱山の歴史を語る会とオホーツク民衆史講座の会員、地元有志らが建立、毎年8月に慰霊祭を行っている。
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