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摩周湖の水が別海の水源になっていると云う話は古くはアイヌの説話にも有り、松浦武四郎の戊午摩之宇日誌の中に記載されている。簡単に言うと「昔クスリ乙名の祖父が猟にでた時、熊が矢を付けたまま摩周湖に転がり落ちてどうしようもなく帰ったが、月日を経てネムロ領ベッカイに流れついたと」云う、摩周湖の水は水底から山の下を潜りてニシベツのヌー(西別川の大水源)にでると信じられていた。現代の研究者の話でもほぼ間違いないとされており、自然とともに生きたアイヌ達の観察眼と云うべきか。摩周湖の霧水や多和平の摩周湖の伏流水に関してはデータが未公表なので此処では何とも云えない。参考までに松浦武四郎の川筋取調図には、この他にシュワン川に3カ所、ポンベツ川に1カ所の湧水点が記載、ポンベツ川の湧水は今の孵化場と思われる、湧水に関する聞き書きは10カ所に及ぶがみているのは大水源だけと思われる。
西別岳の麓、摩周湖の伏流水が毎分100トンの湧水となって流れ出す西別川源流部で周辺の森には天然記念物のシマフクロウが生息している。湧水池の下に明治23年にできた水産試験場の鮭鱒孵化場があり、鮭の稚魚はここから放流される。此処には水と鮭を祭る「圭水神社」が湧水池脇にあるが、鮭を祭る神社は道内ではここだけ。ただ鮭鱒孵化場施設は見学を許可していないので、湧水池と神社そのものを見られるかどうかは施設次第となるが。湧水点は鱒孵化場を含めて周辺に5カ所あると云う。武四郎の日誌では「ヌーウシヘツなるよし。此ヌウ有ると云儀なり」と西別川の由来を書いている。ヌーは温泉の事だが、沸き立つと云う意味でも使われている。確かに砂を舞い上げながら湧出する様は、沸きたっつような感じ。◆川上郡標茶町虹別
摩周湖の伏流水というのは数が実に沢山ある。その中で比較的簡単に水を飲めるようになっている所はわずかですが、虹別林道沿いで西別岳登山口から小さな峠を越えた所に湧出口がコンクリートで固められいた所が有ります。その気になれば水くみは出来ると思いますが、そこから流出す水量は多く川となって流れ下っている。だだあまり目立たないので見落とすかもしれません。水源は上で書いた5カ所の内の一つと思いますが、少し下流に湧水を利用したサケ、マス孵化場が有る。◆川上郡標茶町虹別
名称に関し地形図に河川名が書かれていないため混乱してしまうが、古くは孵化場より下流に向かってシュムクシナイ、水源は摩周よりと(湧水池有り)、ヲショウシ、無名の沢を挟んでコトンナイの順で全て本流の西側支流となる。孵化場より少し下流の西別川に注ぐオソウシの滝は知る人ぞ知る滝だが、本来はシュムクシナイ川で本流と合流する所が滝になっているためオソウシ川と入れ替ってしまった様です。本来のヲショウシは松浦日誌によると「此川奧口より五十間計奧に滝有よし。よつて号るとかや」と有り、今の西別大滝と云う事になる。川の名前もコトンナイと呼ばれているが正確には異なる様で取りあえず通称コトンナイ川としておく。現在のコトンナイ川は標茶町字虹別の国有林内の湧水から流れだし、西別川の源流域では1番大きな支流で、北25線付近で西別川に合流する川だが、水道に取水されていて流水はそれほど多くは無い。オソウシの滝には孵化場付近から笹藪の中を抜けて行けますが、虹別大滝には減水期限定で川通しで行く事が可能です。一番楽なのは固雪の季節に行く事。幕末の探検家松浦武四郎は安政5年当地を訪れた時にコトンナイ川合流部の北側にあった鷲取り小屋で止宿したということだ。◆川上郡標茶町虹別
摩周湖の霧水は摩周湖の地下水として販売中で、ホクレン摩周の霧水製造所は標茶町磯分内にあります。工場前の庭には汲み上げられた水が流れ、その場で冷たくてとても美味しい水が飲めるようにパイプで引かれています。摩周の霧水製造所には弟子屈町から釧路市方面へ進み磯分内地区市街地へ。そこからは看板に従ってすすむとよい。工場敷地内に立ち寄る際は必ず許可を得てください。◆川上郡標茶町磯分内
多和平は雄大な北海道を堪能できるスポットで観光客も多く訪れますが、その多和平展望台付近に摩周湖の伏流水が有る。多和平の駐車場から展望台までは少し歩く事になりますが、摩周湖の地下水脈から汲み上げた摩周湖の伏流水は観光客にも人気があり、とても美味しい水です。多和平は国道を弟子屈町から別海方面へ約10km程で道道1040号線との交差点があり、そこから磯分内へ向かい多和平の看板で右折。◆川上郡標茶町字上多和
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