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大正9年に釧路市から分村、その後、昭和30年に昆布森村と合併し、新「釧路村」となり昭和55年の町制施行により釧路町となりました。原始の海、釧路湿原と青く広がる太平洋に面した自然の豊かな町です。もう一つは北海道の難読地名が多く残りアイヌ語に精通していても読めないような地名が目白押しの地域でも有ります。
釧路川の蛇行を前景に、約2万6千haの原始の面影をとどめた釧路湿原が眼下に広がり、遠くには雄阿寒岳・雌阿寒岳の連山を眺望する事ができ細岡大観とも言いわれる。朝霧と湿原を染めながら阿寒の山並みに沈みゆく夕日の美しさは感動的ですが遭遇は運次第。冬は空気が澄んでいて晴天の日も多く、綺麗な景色がかなりの確率で期待できる。釧路湿原駅から細岡展望台まで徒7分
釧路湿原駅前の階段を上りきったところ釧路湿原を一望できる細岡展望台わきに「細岡ビジターズラウンジ」があり、釧路湿原の様々な資料が展示されていて、パネル展示を見たり丹頂のビデオを見たりする事ができます。軽食と喫茶もあり気軽に憩いくつろぐ事のできる施設です。冬はコーヒー一杯で暖炉にあたりながら、休憩できるのが嬉しい。待ち合わせや汽車の待ち時間にどうぞ。営業は年中無休で16時迄。◇釧路町達古武22 TEL:90154-40-4455
多くのカヌーイストが集まる釧路川で、カヌーを引き上げる場所として作られたのが細岡カヌーポートですが。このあたりから眺める釧路川の流れはなかなかいい景色ですね。細岡駅から右側に歩きおよそ5分程で行けます。現場を見たわけではないが釣り人もおとずれるという。
細岡展望台の一般道から森の中に足を踏み入れると、縄文時代の住居跡と貝塚がある。貝塚には、アサリ、ホタテ、カキ、巻貝の貝殻がみられる。貝塚があるという事は昔、この辺りが海岸だったという事を物語る証明でしょう。釧路湿原の西側台地には多くの遺跡が点在。
最初の駐車スペースが有る所に見落としそうな岩保木山入口の小さな看板があり歩いて岩保木山山頂にいける。標高があり釧路湿原の南東側から見る眺望はなかなかのものだ。駐車場に戻り更にいくつかのアップダウンを繰り返すと釧路川の岩保木水門が望める所に出る。道なりに更に少し進むと釧路川と遠くに釧路市が望めるスポットがあります。林道の分岐付近に盛土された所が有り、ここからの眺望は湿原の彼方に雄阿寒岳、雌阿寒岳を望める。眺望に優れた所を第一展望台~第三展望台と称してますが案内板は岩保木山頂上以外はなく、野生の感で探してください。
岩保木水門は昭和6年に完成した釧路川にかかる水門で釧路川の木材流送のために作られたものですが、実際には水門完成以来開けられたことがないと言われています。水門付近から、雌阿寒岳、雄阿寒岳がよく見え、趣のあるその姿は意外と人気が有り、夕日色に染まる水門と湿原の風景が最高でしよう。冬の好天の時は景色を綺麗に見ることができます。写真は新水門です。
平成5年の達古武オートキャンプ場のオープンにともない木道がつくられ達古武周辺を周遊できる。木道で約2.3kmの地点に夢ケ丘展望台があるが、同キャンプ場がオープンする5月から一般開放している。分岐点から夢ケ丘展望台までの区間は自転車の乗り入れが禁止で、東屋に自転車を置いて夢が丘展望台に向かって歩き始めると、次第に木道が斜めに傾斜し始め濡れている時は危険。急坂を上りきった所が夢が丘展望台で、湿原の東側は蛇行する釧路川と達古武湖、釧網線の線路が真ん中を突き抜けていてSL撮影にも良さそうです。
達古武湖北側の丘陵地を東西に走る全長約2.3kmの釧路湿原歩道は2003年の台風で破損、閉鎖されていたが、現在は修復され終点の夢ヶ丘展望台まで行くことが出来る。湿原東側で唯一湿原の中を木道で歩ける所でヤチボウズの群生地や様々な生きものを観察できる。カヌーポート付近の踏切をすぎたあたりに木道の入り口があります。
達古武湖は、湿原三湖のうち、一番南に位置する周囲5kmの小さな海跡湖、湿原の沼の面影を、そのままに残す湖です。遊歩道、木道では、湿原の動植物の観察ができ、ときには、カワセミも見かけます。達古武湖では、オジロワシ アオサギなどが見られ、冬は、ワカサギ釣りが人気です。オートキャンプ場にカヌーポートがありカヌーをレンタルする事が出来ます。
達古武湖畔にあるオートキャンプ場は湿原探勝には絶好のベースキャンプ場といえる。湖畔をめぐる木道の散策や、サイクリング、夢ヶ丘展望台へのハイキング、湖でのカヌーイングなどが楽しめます。キャンプ場入口のセンターハウスは管理事務所のほか、売店、シャワー室、トイレが完備されています。湿原周囲で快適さを求めるならロッジがお勧めかもしれません。
約2万年前、最後の氷期、ヴュルム氷期の最盛期は今より気温が低く、海面も低かったため、北海道は大陸と陸続きでマンモスがやってきたのもこの頃。その地質年代の遺存種が今も湿原に生息、生育する。氷期が終わると今度は気温は徐々に上昇し、氷河は解け海面が上昇、内陸に海が侵入し、約6千年前、湿原全体はもちろん東側の各湖沼はじめ五十石辺りまでが「古釧路湾」と呼ばれる海になります。これを縄文海進といい細岡の遺跡付近は海岸線になっていたのでしょう。海には暖流系のハマグリ、アカガイ、シオフキガイなどが生息していて、細岡の貝塚に混じって見られます。その後、気温は徐々に低下し海退が始まり、3千年から4千年前の縄文時代後期にはほぼ現在見られる地形、陸地になりました。今見られる湿原はほぼ3千年前に誕生した事になります。
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