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道東3国に君臨した大酋長カネランが戦いの拠点としたという伝説のチャシだが、もっと古い時代から利用されてきた遺蹟という点でも貴重な場所です。利別川近くの険しい崖の上にあり南北110m広さ7.4ha、周りに掘られた豪の深さは3mとかなり深く他に例を見ない国内最大級のチャシで、これを築くにはかなりの権力が存在したのではという様にかんがえられます。伝承によるカネランチャシ跡の事に関してははっきりしたことはわかっていません。ユクエピラチャシ跡は市街地から車で5分程の所で道の駅で聞いて行くのがよいかも。関寛斎の資料館にも簡単なガイド図などは有ると思います。ユクエピラチャシ跡の入口から長い階段を丘陵に向かって登ると関寛斎を顕彰する関寛翁の碑のあり、その場所と奥がチャシになります。◇足寄郡陸別町川向
『十勝陸別にカネランという偉い首長がいた。雷の子孫であると伝えられ、この人が歩くと、いつもその上を雷がゴロゴロとなってついて歩いた。そのために、狩りに行っても、雷の音が激しいために、熊でも鹿でも皆逃げてしまって獲物をとるのに困った。或るときのこと狩りに行くと大きな熊の足跡を発見して追っていくと、相変わらず雷が大きく鳴るので熊に逃げられてしまった。カネランはガッカリして、こんな大きな熊をとったらコタン人達がどんなに喜ぶだろうと嘆いていると、目の前に霧が風に巻かれておりて来て、その中で何かが光るように踊っている。よく見ると頭に角のある蛇のようなものだった。それが川の中へおちてパタンパタンしているので、自分の来ていた着物を脱いでかぶせて押さえ、それを持って歩きながらこんなものはいらないから、先刻の熊を授けて呉れれば良いのにと独り言を言いながら行くと、先に逃げた熊が行先に居眠りをしているのを見つけたので、風下にまわって忍んでゆき仕留める事が出来た。それで天から落ちて来たものを猟の守神とし、箱に入れて家の者にも仲間にも見せないでしまっておいたが、それからは運が良くて北見にも、十勝にもない長老になった。カネランという名は、神様が天からさずけもの下して運が良くなったので、カムイラン(神様が下る)というのがカネランになったのであるという。カネランの砦は陸別川が利別川に合流する少し上の、ウエンナイという支流の落口にあるもので、ここに砦を作り、ウエンナイを伝って厚岸の方から山越してくる厚岸軍を迎え撃って破ったと伝えられている。なお陸別の関神社にある砦は厚岸軍の築いた砦であって、ドルケスックという者がカネランをここから攻めたのであるという。この者は後に阿寒の舌辛で、日本人と酒を飲んで殺されたと言うが、腹を裂いてみたら心臓が石だったと言う。なおカネランはもと北見藻琴の人で、兄弟三人で北見から山越して陸別へ来たが、その年は寄生木を食うほどの饑饉の年であったので、弟二人は阿寒の方に行き、カネラン一人が陸別に残ったのであるという。』足寄町・小谷地吉松エカシ伝・更科源蔵・アイヌ伝説集より。※カネランは今からおおよそ200年前に実在した人物と考えられているが一切が謎に包まれている。
『関神社の裏は石の心臓を持つ者のチャシである。シュマサンペコロペ(石の心臓を持つ者)は厚岸の人である。カネランが刀鍔を何十と縄につないで山の岩穴に隠そうと思って出かけたとき(カネランは始めに刀鍔を縄につないで山の岩と岩の間にかけておいたが、取られないように岩穴に隠しに行った)シュマサンペクルはカネランが逃げたと思ってカネランのチャシに入ってものをとった。刀鍔をカネランが隠したのはエカシホッケナイの上の横にある穴で、この洞窟をエカシポロという。シュマサンペの名は、トゥルケスックといった。トゥルケスックは方々歩いて帰る途中で、舌辛で日本人の家で酒を飲んだとき、日本人に六人も七人もでやられた。シュマサンペクルが舌辛で殺されたとき、身体を裂いてみたら石の心臓だったそうだ』足寄町・小谷地吉松エカシ談・
『雷の子孫であるカネランは雄将で、気も強く、弁舌も達者で、並ぶものがなかった。そのうえ、息子達もいずれ劣らぬ猟の名手だったので、家運も盛んだった。ところがだんだん増長して雄弁を悪用し、近隣に無理難題を持ちかけ、弁舌によって十勝、釧路などのアイヌから宝物を取り上げてしまい、今度は遠く厚岸アイヌのところまで二人の息子を連れて遠征した。温厚な人物の多いアイヌは、音に聞こえたカネランが来たので恐れおののいていたが、百歳を超えた物知り婆さんが嘘の多いカネランの言いかかりを論破した。そこで、カネランは帰り道、厚岸の美しい若妻に乱暴の限りを尽くして引き上げた。その後、厚岸アイヌとカネラン側の十勝アイヌの戦いが始まるが、カネランは捕らえられ、大きな丸太に縛り付けられ、食べ物も与えられず、苦しめられた。過去の罪悪を悔いたカネランは、神に助けられてクンネベツに逃げ帰る事が出来た。そして思いがけなく生き延びられたカネランは、以前とはうって変わったエカシになり、懺悔の生活をしたという。』知里真志保・金田一京助・世界昔話文庫※陸別では四ヶ所のチャシ跡が確認されていて、その中の一つからは兜と鎧が発見されているとのことです。ユクエピラチャシ跡は国史に指定されている。
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