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昭和43年に3.927haの湖沼、海岸草原が北オホーツク道立自然公園として指定された。湖沼や草原については北見神威岬以北、変化に富んだ海岸景観は神威岬以南となる。北見神威岬は、道立自然公園を構成する特徴有る自然の境界線になっている。岬は浜頓別町のクッチャロ湖と並び、北オホーツク道立自然公園のシンボルとなっている。浜頓別町から南下してくるとオホーツク海に鋭角に突き出た岬が迫ってくる。神威岬は襟裳岬に続く北海道の屋根、日高山脈の延長がオホーツク海に沈む最北端だ。花の季節から流氷の季節まで楽しめます。
神威岬より少し南下すると左側に小さな公園がある。ここが北緯45度。この緯度になると、高山帯の植物が海岸から見られるようになる。海岸に続く斜面上の所々にコケモモやガンコウランのマット状群落を見るが他では見たことがない「利尻、礼文では平地から高山植物が咲いているがここは除いて」荒涼とした岩壁に見える神威岬にも、夏には岩の割れ目に根を張って生きるタカネナデシコなどの可憐な姿を見ることが出来る。岬を境に海岸段丘と変成岩などで出来た変化に富んだ岬の海岸線が雄武町まで続くが海岸に出られるところは意外と少ない。
オホーツクラインを稚内方面から南下して行くと迫力ある北見神威岬が見えてくる。この岬が枝幸町への北の玄関になる。神威山がオホーツク海に突き出すす北見神威岬を通る道は、斜内山道と呼ばれ、単調なオホーツク海岸の中に有って交通の難所だった。灯台のすぐ下を国鉄興浜北線が走りその下を国道が走っていたが、鉄道は廃線、山裾には痕跡が残っている。平成11年にトンネルが完成し、交通の難所も完全に過去のものに。晴れた日に神威岬の尾根に登ると左には60kmを越える直線の砂浜と大小の湖沼右には海岸に迫る山と岬の入り組んだ、対照的な自然を展望できる。
枝幸町への北の玄関になる神威岬の岬先端はかつて道路が通っていたがトンネルが完成し、幕末の探検家、松浦武四郎著の西蝦夷日誌で神威山の図とともに「岩路馬足立ちがたし」と書かれた交通の難所も遠い昔の話になってしまった。武四郎が初めて此地を訪れたのは弘化3年の樺太より戻り稚内から斜里に行く途中7月19日に斜内の番屋に泊り、翌日に岬を枝幸に向かっている。蝦夷日誌では「番屋前より坂道を上らば半里計爪先上り、さし而難所もなし」と、これは健脚武四郎には難所ではなかったという事で馬では通れない。次は安政3年の8月21日に斜内に訪れ一泊しここから陸行で枝幸に向かう。武史郎廻浦日誌には「カムイト 此所出岬 上は簇々たる岩壁也。馬足難通也」と。3度目は安政5年の5月、この時は処理側より内陸踏査をしながらの北上で枝幸には5月27日に到着し宿泊。この後北上して6月3日には猿払川を遡り内陸調査をしている。この時は斜内には泊まらず素通りで、公式な記録に斜内は出てこない。西蝦夷日誌は3度に及ぶ西蝦夷の紀行をまとめたダイジェスト版となるようです。
神威岬をすぎしばらく進むと左側に駐車場の完備した神威岬公園が有る。ここに車を止めて来た方向を振り返ると、迫力有る神威岬が視界に飛び込んでくる。正面を見ると目梨泊岬が海に線を引いたように突き出ているのが見える。釣りファンには馴染み深い所だ。公園から延びる遊歩道から波打ち際に降りられる。変わった形の岩が有っておもしろい。
枝幸町の北にある大きな岬で公園とキャンプ場が整備されている。岩岬をウスタイベ千畳岩といい岩礁はガラス質安山岩、節理と流理面が明瞭で文字どおり畳を敷き詰め重ねあわせたような奇観を呈する。岬のキャンプ場は必要な設備はすべ完備で使用料は無料。枝幸カニ祭りの会場にもる。岬で釣りもできるが超荒根地帯、ここでは手竿の釣りが良い。
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